映画監督 康 浩郎のシネマと「声」
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engine books 2019年9月7日発行 48頁
本冊子は映画監督、康 浩郎のインタビュー、再録原稿、フィルモグラフィーを収録している。
康は1956年に日本大学芸術学部映画学科へ入学し、1957年には神原寛、平野克己らと「日本大学芸術学部映画学科映画研究会」を組織した。
1959年に日大映研は映画「釘と靴下の対話」を製作し、演出は康と平野が中心となって行われた。
この映画はドナルド・リチイによってブリティッシュ・フィルム・インスティテュートの機関誌「Sight and Sound」に戦後日本の初の前衛映画として紹介されたという。
1960年に康は大学を卒業して記録映画作家協会に参加し、松本俊夫監督、宮島義勇撮影、片山幹男録音の「西陣」、東松照明監督、真鍋博製作、大野松雄音楽の「シネ・ポエム作品No. 1」などの助監督を担当する。
記録映画作家協会の機関誌「記録映画」では1962年度の編集委員を務めるほかに論文も寄稿し(本冊子に再録)、1965年には大阪湾に潜る済州島出身の海女を描いたテレビ・ドキュメンタリー「大都会の海女」、そして、1966年には関西電力のPR映画「くだものづくり」などを監督する。
1968年には「大阪自主映画センター」を組織し、1968年には「1968大阪の夏 反戦の貌」、1969年には「むちうたれる者 ドキュメント輪禍」を製作する。
1969/70年には小杉武久の音楽によるPR映画「オープン・スペースを求めて 大阪三菱ビルの場合」「大阪に背骨を入れる」なども監督するが、康は政治的な時代の転換とともにしばらく非商業映画の世界からはドロップ・アウトすることとなる。
1984年に康は松本雄吉率いる維新派が旧国鉄大阪駅コンテナ基地跡にて開催した公演を撮影した映画「阿呆船 さかしまの巡礼」を監督し、1991年に公開された映画「金日成のパレード」の日本語版の演出を務めた。
1980年代末からはテレビ業界にも復帰し、「サンデープロジェクト」ではレフ・ヴァウェンサ(ワレサ)大統領への単独インタビューを実現させている。
2000年代からは衛星放送のためのドキュメンタリー番組を多く手がけ、2004年からは「シネアスト・オーガニゼーション・大阪」の総合プロデューサーを務めた。
康 浩郎: 1938年大阪に生まれる。1956 年に日本大学芸術学部映画学科へ入学し、1959年に完成した日本大学芸術学部映画学科映画研究会「釘と靴下の対話」の集団製作に参加する。1960年に日本大学を卒業し、1960年代は関西と関東を行き来しつつ、松本俊夫監督「西陣」などの助監督を務めるところからキャリアをスタートさせ、東洋映画、毎日放送映画、日本映画新社、岩波映画製作所などでPR映画やテレビ・ドキュメンタリーなどの監督を務める。1968年より映画運動「大阪自主映画センター」を主宰し、「むちうたれる者」(1969)などの作品を発表する。1970年代後半からは宝塚映画や日本シネセルの製作によるPR映画や記録映画などを手がける一方で、維新派の公演を記録した「阿呆船さかしまの巡礼」(1984)や「金日成のパレード」の日本語版(1991)などを手がけた。1980年代末より朝日放送やテレビ大阪において多くの報道番組や経済番組などを手がけ、1992年に株式会社パトリアを設立した。2004年には「シネアスト・オーガニゼーション・大阪(CO2)」を設立し、大阪市とともに新人映画監督育成のための映画祭「CO2・フィルム・エキシビション」を立ち上げ、総合プロデューサーを務める。2000年代からは衛星放送のためのテレビ・ドキュメンタリーなどを数多く企画・演出し、東日本大震災をテーマにした「共感の絆」三部作(2012〜2013)や、長崎の潜伏キリシタンを描いた「沈黙の声」(2017)などを制作した。
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